夢って・・・?
2004年1月14日最近、夢って何だろう?と考えます。
私は昔、一流とよばれるような日本のオーケストラの団員になって演奏家になることが夢でした。
でも今の私にあの頃描いてた「演奏家になる」というような明確な夢はないです。
何がやりたいのだろうか?
みなさんは明確な夢をもった人を素敵だと思いますか?
例えば恋人が「俺は医者になりたい!」「弁護士になりたい」と言ったとしたらそれははたして素敵だと思いますか?
私は自分の夢を軽々しく人に話す人が嫌いです。それは・・昔の自分を見てるような気になるから。
高校生の頃「音大に入りたい」と友達に言うと「そらはすごいね〜自分のやりたい事をしっかりみつけてて偉いよ」
と言われました。
それで「私ってすごいんだ」と勘違いしていた時期がありました。
でもそうじゃないですよね^^;
「夢を持つ」事はすごい事じゃない。
「夢を叶える」事がすごいんですよね。
「すごいね〜えらいね〜」
そう言ってもらいたくて自分の夢を人に話していた時期がありました。
大学生の頃周りの友達はみんな演奏家になりたいという同じ夢や野心を持った人たちばっかりでした。
そういう人の中にはいってみて自分がどれだけ浅はかな野望だったのだろうと思いました。
人に評価されたい為に自分の夢を人に話す自分をとてもちっぽけな人間だと思いました。
今日、昼間にカフェランチを食べながら本を読んでいたら隣の席に大学生らしきカップルが話していました。
「俺、将来は国家公務員になりたい。警視庁に入って刑事になりたいんだ」
「○○すごい!自分のやりたい事もみつけてて・・かっこいいよ」
私にとってはこの彼は全くかっこよくなんかないです。
この彼が本当に国家公務員第1種試験に合格し警視庁に配属され刑事になったらかっこいいです。そしてそうなった時に実は自分は昔から刑事になりたかったのだ。そしてその為に大学1年の頃からひそかに勉強をして努力してきたのだ。
そう告白されたのなら最高にかっこいいです。
夢を思い描くだけならすごく楽しいし簡単だと思う。
でもそれを叶える事は、かなえようと努力する事はとても地味で楽しくもない作業の繰り返し。それは挫折や妬みや苦しみの繰り返し。
かっこよくない事の連続です。
学生の頃、私は試験や本番のたびに落ち込み悩み嫉妬し苦しかったです。
でもそれを人に相談できませんでした。
いつも独りで抱えていました。
「私より○○ちゃんのほうが成績がよかった」
そう妬んでいたり落ち込んでいる自分がとてもかっこ悪くて人に見せれるようなものではないと思っていたから。
話し相手も泣きつく相手もいなかったです。
空をみて「絶対やってやるからそっからみてろよ!」と思っていました。
いったい誰に向かって言っていたのかわからないけどそうすると何故か落ち着きました。
そんな自分は私にとって最悪にかっこ悪く出来れば認めたくないような自分の一部でした。
昔、好きな人が何かに悩んでいて自分を見失いかけていた時私はどうにかしてあげたくてその話しをしました。
「空をみたらきっと落ち着くよ」そう言って自分の一番汚く弱くかっこ悪い過去を話しました。
私としては情けない最悪な自分の話しをしたつもりでしたが彼にとってはとても美談に聞こえたようでした。
「夢を持つ」事と「夢に向かう」事が同じように見えて全く違う事なんだな〜と最近思いました。
日本中に溢れている「夢」や「目標」を熱っぽく語る人達のどれだけがその「夢」を手にするんでしょうか?
「白い巨塔」を観ていて家族や友達は「財前先生は最低だ」と言いますが私は、口だけの夢や情熱を語る人よりも何倍も素敵だと思いました。
夢を手に入れるためにどれだけ卑劣な手を選んだとしても周りの人間を利用してもそれを貫き自分の描いた「夢」を実現させる事のできる人間は素晴らしいと思います。
そこに行き着くまでの手段はどうであれ。
夢が大きければ大きいだけ犠牲もリスクも大きくなる。
織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も人を殺して自分の野望を実現させたのだ。
なぜ安っぽい情熱を持った人が評価され、自分の夢の実現のために努力を惜しまない人が非難を浴びるのだろうか?
理不尽だなぁと思う。
私は昔、一流とよばれるような日本のオーケストラの団員になって演奏家になることが夢でした。
でも今の私にあの頃描いてた「演奏家になる」というような明確な夢はないです。
何がやりたいのだろうか?
みなさんは明確な夢をもった人を素敵だと思いますか?
例えば恋人が「俺は医者になりたい!」「弁護士になりたい」と言ったとしたらそれははたして素敵だと思いますか?
私は自分の夢を軽々しく人に話す人が嫌いです。それは・・昔の自分を見てるような気になるから。
高校生の頃「音大に入りたい」と友達に言うと「そらはすごいね〜自分のやりたい事をしっかりみつけてて偉いよ」
と言われました。
それで「私ってすごいんだ」と勘違いしていた時期がありました。
でもそうじゃないですよね^^;
「夢を持つ」事はすごい事じゃない。
「夢を叶える」事がすごいんですよね。
「すごいね〜えらいね〜」
そう言ってもらいたくて自分の夢を人に話していた時期がありました。
大学生の頃周りの友達はみんな演奏家になりたいという同じ夢や野心を持った人たちばっかりでした。
そういう人の中にはいってみて自分がどれだけ浅はかな野望だったのだろうと思いました。
人に評価されたい為に自分の夢を人に話す自分をとてもちっぽけな人間だと思いました。
今日、昼間にカフェランチを食べながら本を読んでいたら隣の席に大学生らしきカップルが話していました。
「俺、将来は国家公務員になりたい。警視庁に入って刑事になりたいんだ」
「○○すごい!自分のやりたい事もみつけてて・・かっこいいよ」
私にとってはこの彼は全くかっこよくなんかないです。
この彼が本当に国家公務員第1種試験に合格し警視庁に配属され刑事になったらかっこいいです。そしてそうなった時に実は自分は昔から刑事になりたかったのだ。そしてその為に大学1年の頃からひそかに勉強をして努力してきたのだ。
そう告白されたのなら最高にかっこいいです。
夢を思い描くだけならすごく楽しいし簡単だと思う。
でもそれを叶える事は、かなえようと努力する事はとても地味で楽しくもない作業の繰り返し。それは挫折や妬みや苦しみの繰り返し。
かっこよくない事の連続です。
学生の頃、私は試験や本番のたびに落ち込み悩み嫉妬し苦しかったです。
でもそれを人に相談できませんでした。
いつも独りで抱えていました。
「私より○○ちゃんのほうが成績がよかった」
そう妬んでいたり落ち込んでいる自分がとてもかっこ悪くて人に見せれるようなものではないと思っていたから。
話し相手も泣きつく相手もいなかったです。
空をみて「絶対やってやるからそっからみてろよ!」と思っていました。
いったい誰に向かって言っていたのかわからないけどそうすると何故か落ち着きました。
そんな自分は私にとって最悪にかっこ悪く出来れば認めたくないような自分の一部でした。
昔、好きな人が何かに悩んでいて自分を見失いかけていた時私はどうにかしてあげたくてその話しをしました。
「空をみたらきっと落ち着くよ」そう言って自分の一番汚く弱くかっこ悪い過去を話しました。
私としては情けない最悪な自分の話しをしたつもりでしたが彼にとってはとても美談に聞こえたようでした。
「夢を持つ」事と「夢に向かう」事が同じように見えて全く違う事なんだな〜と最近思いました。
日本中に溢れている「夢」や「目標」を熱っぽく語る人達のどれだけがその「夢」を手にするんでしょうか?
「白い巨塔」を観ていて家族や友達は「財前先生は最低だ」と言いますが私は、口だけの夢や情熱を語る人よりも何倍も素敵だと思いました。
夢を手に入れるためにどれだけ卑劣な手を選んだとしても周りの人間を利用してもそれを貫き自分の描いた「夢」を実現させる事のできる人間は素晴らしいと思います。
そこに行き着くまでの手段はどうであれ。
夢が大きければ大きいだけ犠牲もリスクも大きくなる。
織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も人を殺して自分の野望を実現させたのだ。
なぜ安っぽい情熱を持った人が評価され、自分の夢の実現のために努力を惜しまない人が非難を浴びるのだろうか?
理不尽だなぁと思う。
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